小坂井町(こざかいちょう) 東三河 豊橋市のとなり町、宝飯郡小坂井町の伊奈城跡近くに両親と共にこの地に ここも海岸から程近く、少し歩けば磯のかおりが漂ってくる [三葉葵発祥の地]で地元では有名 全国 区では無名 小学校の校章も「葵」、でもこの学校で6年間過せなかった |
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宝飯郡小坂井町伊奈 |
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伊奈城跡 通称城山 |
伊奈城 花が池公園 三葉葵発祥の池 |
現在、城山と池は新幹線の線路で分断されている |
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徳川家康の祖父松平清康(岡崎城主)が亨禄二年(1529)吉田城(豊橋市)攻めの折、当時の伊奈城主本多正忠は松平清康と共に参戦、城を攻め落とした。 本多正忠は松平清康を伊奈城に招いて凱旋、酒宴を催し城内の花が池にあった水葵の葉を敷いて酒肴を出した。 清康は大そう喜び、「立ち葵は正忠の家の紋なり、この度の戦いに、正忠最初に御方参 て、勝軍しつ、吉例なり、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり」 (藩翰譜・新井白石編) この記述を裏付けるように、岡崎市の随念寺に残されている清康の肖像画には、「立葵の紋」が描かれている。 このように、本多家から松平家の家紋となった「立葵の紋」が、徳川家康の代に「三つ葉葵の紋」となったと伝えられている。 出典引用 参考: 小坂井町史 写真 コバ撮影 何故三州三河伊奈城主本多家の家紋が立葵か 二葉葵は京都加茂神社の社紋で加茂神社の「葵祭り」が有名です。 |
隣り町の小坂井からお稲荷さんのお膝元の豊川市に転居、ここが東三河最後の地 ここを流れているのが一級河川の豊川(とよがわ)市名が豊川市(とよかわし)と紛らわしい 終戦間近まで東洋一の海軍工廠(公称6万名)があったがB29の爆撃 で壊滅、女子挺身隊、動員学徒含め2500名以上の尊い命が犠牲になった。その当時私ども家族はまだ湘南だった。 その工廠跡地に今では自衛隊駐屯地、大手企業が数多く進出しているが以前、黒澤監督の「悪 い奴ほど良く眠る」や石原裕次郎主演の[黒部の太陽]のトンネル掘削のロケも行なわれ、破砕帯出水 場面では大量の水が出すぎ実際に多数の出演者(裕次郎も)が怪我をして豊川の市民病院へ運ばれた。 |
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京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷と共に日本三大稲荷、東京赤坂に豊川稲荷の分閣があります。 正式名称 曹洞宗 豊川閣円福山妙厳寺 1441年室町時代開祖 その昔、妙厳寺知客寮で祈祷合図の触れ太鼓、接客案内などのアルバイト経験があります。 |
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豊川稲荷は、妙厳寺の境内に鎮 守として祀られた「豊川叱枳尼真天」(だきにしんてん)の通称です。
本尊は千手観世音菩薩でその鎮守として豊川叱枳尼真天を祀っています。 叱枳尼眞天は、仏法守護の善神で元々インドの神で狐にまた がった事から 狐の精霊として信仰され祀られている。 本殿には叱枳尼真天、法堂には千手観世音菩薩が祀ってあります。 ご祈祷に精進料理が振る舞われます、3000円以上だったと思います。
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ドイツ人医師ベルツ博士、花夫人 ゆかりの寺 ベルツ博士は明治政府の招請で明治9年に来日、東京大学医 学部の前身、東京医学校で教鞭をとった、そのとき、「花」と出会 い結婚。 花は元治元年江戸 神田の生まれ(父の実家が御油の旧家戸田 屋)で上野戦争(戊辰戦争)のとき三州吉田(現在の豊橋市)に 一時疎開。 博士の死後花夫人は日本に帰り、戸田家の菩提寺である西 明寺にベルツ博士の供養塔を建てた。 |
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草津に私財でクワハウスを創り世界に草津 温泉を 紹介、当時の女性の手荒れ(あかぎれ)等に効くベルツ水を考案。明治天皇 の侍医など、大学で医学を教 え、日本医学のため多大な貢献をした。 花夫人は(ハナ はな 花 花子)どれがほんとうか? 2004/1/29 |
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写真はベルツ博士家族の墓碑 |
西明寺 水原 秋桜子句碑 「菊にほふ国に大医の名をとどむ」 ベルツ博士家族の墓碑と供養塔の真中にこの碑がある |
ベルツ.花が建てたベルツ博士の供養塔 ベルツ博士供養塔が句碑の右側に建っている |
西明寺を訪れた孫娘ゲルヒルト・トーマ夫人とビーティヒハイム市の市長から菩提樹が贈られ本堂前に植えられた。 2004/9/23 |
西明寺山門 寺紋は三葉葵 ここから姫街道追分辻に出られる。 |
豊川市八幡町 姫街道沿い (国道1号線追分交差点近く) 東三河最古の芭蕉句碑もここにあります。 2004/4/12 |
西明寺本堂横に「花、 ベルツへの旅」の紹介パンフレットがガラス戸に貼ってあった。 |
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H8 真寿美・シュミット=
村木 花・ベルツへの旅 講談社、発刊 (左の写真) その他 S47 鹿島卯女 ベルツ.花 S52 *小川京子 潔く気高く美しくベルツ花 S54 綾部伴子 ベルツ花子 控えめで聡明な外人妻 *小川京子 クーデンホーフ光子の生涯の語りかけるもの 2004/1/29 |
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ベルツ.ハナ夫人 余聞 「欧州大戦当時之独逸」の原稿、関東大震災で焼失
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慶長九年から11年かけて植えられた 天然記念物で御油から赤坂(宝飯郡音羽町)関川までおよそ 600メートル続いています。 |
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その赤坂関川神社入り口に芭蕉句碑があります。となりに
昔ながらの八百屋さんがあるので直ぐ判ります。
御油宿には「ハル、ベルツ夫人」の実家跡があります。 交通手段 東名高速 音羽蒲郡インターチェンジから国道一号線経由で5〜10分、電車は名鉄本 線「御油」「名電赤坂」下車で徒歩2.5キロ間を散策 健脚向きには「国府(こう)」下車、追分(姫街道入り口)から歩かれてはいかが、松並木資料館もあります。 御油、赤坂駅は普通電車のみ停車、国府駅は急行、一部特急停車します。 2004/4 |
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2004/3/21 |
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「常在戦場、米100俵」で有名な越後長岡藩の
牧野の殿様がここ三州三河牛久保城の出身。
三河以来の家風を伝える「牛久保の壁書18ヶ条」があり、そのなかに「常在戦場」の四字がある。 |
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その昔、牛久保城主の牧野氏が領民にお城で振る舞い酒し、領民が喜んで帰宅途中に酔っ払って道端にゴロゴロする様がいつのまにか祭りになった。(県無形文 化財) 道路でゴロゴロ寝転がり起こし役が起こしに来るまでそのまま寝転がる珍しいお祭。 |
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豊川市牛久保町 長谷寺(ちょうこくじ) |
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八名郡加茂村(現豊橋市)生まれ その後豊川牛久保へ
(案内板より) 生まれは諸説あります。 街中のこじんまりしたお寺の裏手にひっりたたずんでいる。 勘助の守護神 摩利支天像が安置されています。 毎週土、日に公開されます。 昨年までひっそりしたお寺でしたが今年は町おこしで 幟旗まで立て豊川市の観光PRに一役買っています。 2007/2/10更新 2007/2/1撮影 |
2007年NHK大河ドラマ 風林火山 山本勘助を中心にドラマが繰り広げられる |
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今川義元の墓所(胴塚) 豊川市牛久保町大聖寺 |
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永録三年五月十九日 桶狭間の合戦で討ち死、首をとられ家臣が胴体を背負って当地まで逃れこの寺に葬った。 案内板略 このお寺の入り口の狭い路地に今川さんの表札 偶然? 毎年命日には地元の方々により慰霊祭が執りおこなわれているそうです。 JR牛久保駅近大聖寺の境内 2007/2/10更新
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| 一色刑部の墓 今川義元の墓の手前左にあります |
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