三河のそよ風
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芥川龍之介   鵠沼雑記

挿入写真PC入力編集、 koba

修正箇所:句点はなるべく行末に改編、読み易くする為、行間を空けた

また入力に際し下記の書籍も参考にしました

入力参考底本:「芥川龍之介全集第22巻」岩波書店発行

 

鵠沼(藤沢市鵠沼)はかつて避暑地、別荘地として文士、芸術家が訪れ華やかな活動を通しその足跡を残した。

芥川龍之介もその一人、龍之介の妻の実家がここ鵠沼。この小説「蜃気楼」に出てくる東屋は鵠沼海岸の商店街の奥に入ったところに東屋旅館跡地記念碑がある。鵠沼海岸は、現在では近代的なビーチとして賑わっている。(写真は現在の鵠沼の小路)  そのころ 龍之介は東屋の貸し別荘に住んでいる。 koba


                    鵠沼雑記

 僕は鵠沼(くげぬま)の東屋(あづまや)の二階にぢつと仰向(あふむ)けに寝ころんでゐた。

その又僕の枕もとには妻(つま)と伯母(をば)とが差向ひに庭の向うの海を見てゐた。

僕は目をつぶつたまま、「今に雨がふるぞ」と言つた。妻や伯母(をば)はとり合はなかつた。

殊に妻は「このお天気に」と言つた。しかし二分とたたないうちに珍らしい大雨(たいう)になつてしまつた。

 

 僕は全然人かげのない松の中の路(みち)を散歩してゐた。

僕の前には白犬が一匹、尻を振り振り歩いて行つた。

僕はその犬の睾丸(かうぐわん)を見、薄赤い色に冷たさを感じた。

犬はその路の曲り角(かど)へ来ると、急に僕をふり返つた。それから確かににやりと笑つた。

 

 僕は路ばたの砂の中に雨蛙(あまがへる)が一匹もがいてゐるのを見つけた。

その時あいつは自動車が来たら、どうするつもりだらうと考へた。

しかしそこは自動車などのはひる筈のない小みちだつた。

しかし僕は不安になり、路ばたに茂つた草の中へ杖の先で雨蛙をはね飛ばした。

 

 僕は風向(かざむ)きに従つて一様(いちやう)に曲つた松の中に白い洋館のあるのを見つけた。

すると洋館も歪(ゆが)んでゐた。

僕は僕の目のせゐだと思つた。

しかし何度見直しても、やはり洋館は歪(ゆが)んでゐた。

これは不気味(ぶきみ)でならなかつた。

 

 僕は風呂(ふろ)へはひりに行つた。

彼是(かれこれ)午後の十一時だつた。

風呂場の流しには青年が一人(ひとり)、手拭(てぬぐひ)を使はずに顔を洗つてゐた。

それは毛を抜いたにわとりのやうに痩(や)せ衰へた青年だつた。

僕は急に不快になり、僕の部屋へ引返した。

すると僕の部屋の中に腹巻が一つぬいであつた。

僕は驚いて帯をといて見たら、やはり僕の腹巻だつた。(以上東屋(あづまや)にゐるうち)

 

 僕は夢を見てゐるうちはふだんの通りの僕である。

ゆうべ(七月十九日)は佐佐木茂索(ささきもさく)君と馬車に乗つて歩きながら、麦藁帽(むぎわらばう)をかぶつた馭者(ぎよしや)に北京(ペキン)の物価などを尋ねてゐた。

しかしはつきり目がさめてから二十分ばかりたつうちにいつか憂鬱になつてしまふ。

唯灰色の天幕(テント)の裂(さ)け目から明るい風景が見えるやうに時々ふだんの心もちになる。

どうも僕は頭からじりじり参つて来るのらしい。

 

 僕はやはり散歩してゐるうちに白い水着を着た子供に遇(あ)つた。

子供は小さい竹の皮を兎のやうに耳につけてゐた。

僕は五六間離れてゐるうちから、その鋭い竹の皮の先が妙に恐しくてならなかつた。

その恐怖は子供とすれ違つた後(のち)も、暫(しばら)くの間(あひだ)はつづいてゐた。

 

 僕はぼんやり煙草を吸ひながら、不快なことばかり考へてゐた。

僕の前の次の間(ま)にはここへ来て雇(やと)つた女中が一人(ひとり)、こちらへは背中を見せたまま、おむつを畳んでゐるらしかつた。

僕はふと「そのおむつには毛虫がたかつてゐるぞ」と言つた。

どうしてそんなことを言つたかは僕自身にもわからなかつた。

すると女中は頓狂(とんきやう)な調子で「あら、ほんたうにたかつてゐる」と言つた。

 

 僕はバタの罐(くわん)をあけながら、軽井沢(かるゐざは)の夏を思ひ出した。

その拍子(ひやうし)に頸(くび)すぢがちくりとした。

僕は驚いてふり返つた。

すると軽井沢に沢山(たくさん)ゐる馬蝿(うまばへ)が一匹飛んで行つた。

それもこのあたりの馬蝿ではない。

丁度(ちようど)軽井沢の馬蝿のやうに緑色の目をした馬蝿だつた。

 

 僕はこの頃空の曇つた、風の強い日ほど恐しいものはない。

あたりの風景は敵意を持つてぢりぢり僕に迫るやうな気がする。

その癖前に恐しかつた犬や神鳴(かみなり)は何(なん)ともない。

僕はをととひ(七月十八日)も二三匹の犬が吠(ほ)え立てる中を歩いて行つた。

しかし松風が高まり出すと、昼でも頭から蒲団(ふとん)をかぶるか、妻のゐる次の間(ま)へ避難してしまふ。

 

 僕はひとり散歩してゐるうちに歯医者の札(ふだ)を出した家を見つけた。が、二三日たつた後(のち)、妻とそこを通つて見ると、そんな家は見えなかつた。

僕は「確かにあつた」と言ひ、妻は「確かになかつた」と言つた。

それから妻の母に尋ねて見た。するとやはり「ありません」と言つた。

しかし僕はどうしても、確かにあつたと思つてゐる。

その札は齒と本字を書き、イシヤと片仮名(かたかな)を書いてあつたから、珍らしいだけでも見違へではない。(以上家を借りてから)(一五.七.ニ〇)

昭和十五年遺稿