|
|
岡崎城と龍城神社 岡崎の中心街から程近い乙川(菅生川)沿いにあります。 徳川家康(竹千代)生誕の岡崎城 手前が龍城神社で城内、川沿いに咲く桜がきれい |
岡崎城 昔の船着場跡 岡崎城のほとり、乙川(菅生川) 「岡崎様は五万石でも城下まで船が着く♪」 2005/1/6UP |
徳川家菩提寺 徳川家の菩提寺で、家康公19歳の時、桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に殺されたので、身の危険を感じ、大高城 から大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとした。大樹寺住職登誉天室上人はこれをとどめ「厭離穢土欣求浄土 この時家康公を追う野武士の一隊が大樹寺を囲んだが「厭離穢土欣求浄土」の旗を立て、太刀無双の祖洞和尚が門の 松平清康が七堂伽藍、多宝塔を造営、三代将軍家光が大方丈、三門、総門、鐘楼を建立 |
|
本堂を背に三門、総門を通し岡崎城が見られます 岡崎城から北へ一里 春は桜が綺麗です。 2005/1/6 |
総門通しの岡崎城天守閣 岡崎城の天守閣と総門、三門、本堂は南北に一直線 コリメート法にて拡大 双眼鏡20倍×デジカメ3倍 2005/1/6 |
名鉄本線宿駅から歩いて10分ぐらい、旧東海道沿いにあり ます。 徳川家康(竹千代)の幼時期 読み書き手習いに通った法 山門を入って左手に六角堂がありその裏手に松平家の墓所 がありその直ぐ近くに近藤勇の首塚があります。ひっそり葬 られていましたが最近胸像が建てられました。 近藤勇は東京板橋の刑場で斬首、首は京都三条大橋西 |
岡崎市矢作町 旧東海道沿い 長者兼高は十王堂を再建、浄瑠璃姫の木像を作り、義経 が浄瑠璃姫に贈った名笛[薄墨]と姫の鏡を安置した 浄瑠璃物語や人形浄瑠璃などはこの矢作の浄瑠璃姫の 生涯がもとになり創作が行なわれ年代と共に史実が この十王堂の裏手に浄瑠璃姫、兼高長者のお墓がありま す。 |
芭蕉句碑 句碑の説明をして下さった、藤川宿まちづくり研究会事務局長の松坂様、ありがとうございます。 この付近の地図 2005/5/13撮影 |
|
|
|
西棒鼻とは宿場の出入り口で宿場の西の端の意味 藤川小学校前 2005/5/13撮影 |
茎まで紫色、実の色は?白です。藤川宿まちつくり研究会 事務局長の松坂様から親切に教えていただきました。 「むらさき麦と言う品種はない、(大公館)が正式名称」 |
このホームページの著作権はkoba(コバ)のホームページが所有しています